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【特集】阪神藤川球児は生ける伝説。抑え抜擢のキーマンや学ぶべきこととは。

虎吉くん
藤川選手の凄さを教えて欲しい!

 

阪神タイガースの歴代ストッパー特集、3人目は藤川球児選手です。

1998年ドラフト1位で阪神に入団した藤川選手ですが、今も現役で活躍している生ける伝説です。

阪神ファン歴が浅い人は、そもそも藤川選手がどれだけ凄い選手なのか知らない人も多いですよね。

そんな人のためにも、ここで藤川選手の最強の守護神たるゆえんを解説したいと思います。

 

藤川球児はなにが凄いのか

藤川選手は、阪神タイガース史上でも指折りの投手だと私は思っています。

2000年代の藤川選手をしている人は頷けると思うのですが、彼の一体なにが凄いのでしょうか。

ここでは、藤川選手の凄いところを3つご紹介していこうと思います。

 

ホップする希少なストレート

藤川選手と言えば、火の玉ストレートと呼ばれる豪速球で有名ですよね。

ストレートがベース手前で下に落ちることなく、逆にホップして伸びるのが特徴です。

 

虎吉くん
なんでホップするんや?

 

その秘密は、球の回転数が他の選手と圧倒的に違うところにあります。

普通のプロ野球選手の平均は1秒あたり37回転だそうですが、藤川選手は驚異の45回転。

さらに回転軸が地面とほぼ直角であるため、地面から浮き上がるんだそうです。

 

その証拠に、藤川選手のメジャー挑戦前の2005年〜2012年は奪三振率12.81でした。

これがどれだけ凄い数字かというと、歴代奪三振率TOP3をみればわかります。

 

参考

奪三振率ランキングTOP3
1位 杉内俊哉 9.28
2位 石井一久 8.84
3位 江夏 豊 8.41

 

これは先発投手に限ったものですが、中継ぎを入れてもおそらく12を超える選手はいないはずです。

しかもほとんどストレートで三振を奪っていて、いかに火の玉ストレートが凄いかがわかりますね。

 

驚異的な実績と数値

火の玉ストレートはもちろん素晴らしいのですが、もちろん輝かしい実績も残しています。

メジャー挑戦前の8年間のデータをピックアップしたんですが、見てみてください。

 

阪神藤川

 

この8年間ほとんどが防御率1点台であり、2006年と2008年はなんと0点台!

中継ぎの防御率は2点台でも優秀だと言われるなかで、この成績ですから神と言えます。

さらに、セ・リーグでも記録を作っており、有名なところはこんな感じです。

 

参考

シーズン46セーブ(2007年)
17試合連続ホールド記録(2005年)
38試合連続無失点(2006年)

 

記録もそうですが、記憶にも残る素晴らしい投球を見せてくれていましたね。

もちろんメジャー挑戦から阪神復帰を果たした2016年シーズンからも、数字を積み重ねています。

 

38歳を迎えても衰えぬストレート

2019年7月21日で39歳を迎えるベテラン藤川選手ですが、ストレートの威力は健在。

若手中継ぎ陣とくらべても、藤川選手の方がスピードも切れも球威も断然上なのが凄い。

それがわかる、最近の藤川選手の投球をぜひご覧ください。

 

 

球速こそ全盛期からは落ちていますが、切れが凄すぎてみんな空振りしちゃってます笑。

この動画では140kmそこそこの球速ですが、6月に入ってから150kmも記録しています。

この男は一体どこまで進化を遂げるのか、引退のその時までしっかりと目に焼き付けましょう。

 

藤川球児を抑えに抜擢した3人の恩人

ところで、藤川球児選手が中継ぎに抜擢されたのは2004年です。

それまでは先発投手として頑張っていたのですが、中盤以降スタミナ切れで球威が落ちていました。

そんな藤川選手を中継ぎに抜擢し、大黒柱に育てたのはこの3人だったのです。

 

山口高志

山口高志さんは、2004年当時阪神の二軍投手コーチをされていました。

2003年星野監督から直接オファーを受け就任し、ファームで藤川選手を直接指導。

 

ちなみに山口高志さんは、元阪急ブレーブスの投手だった方。

かつて捕手で三冠王に輝いた野村克也さんが、著書の中で山口高志さんをこう評されていました。

 

自分の見た投手の中で一番速かったのは山口だと思っている。全く手に負えない球だった。

 

藤川選手と同じ速球派投手だった山口高志さんが、藤川選手のフォーム改造を行いました。

具体的には、投球時に右膝が折れて沈み込む癖があったので、膝を伸ばすフォームへ改造。

2004年に改造を行ったのですが、その年の後半戦から一軍昇格して大活躍となりました。

 

中西清起

2004年当時、阪神の一軍投手コーチを務めていたのが中西清起さん。

阪神ファンなら知っているとおり、1985年のリーグ優勝投手ですよね。

 

中西清起さんの功績は、藤川球児選手を先発から中継ぎに抜擢したことです。

2005年といえば、史上最強の中継ぎ陣「JFK」が有名ですが、これは中西さんの手腕。

ちなみにSHE(桟原・橋本・江草)も中西さんの時代に結成した中継ぎ投手陣です。

 

中西清起さんは、藤川選手と同じ高知商業出身の大先輩。

その縁も大きく働いて、藤川選手は大抜擢されたんじゃないかとも言われています。

 

岡田彰布

最後はもちろん、2005年リーグ優勝を成し遂げたときの監督である岡田彰布さん。

藤川選手の中継ぎとしての才能を見抜き、JFKを確立したのは岡田さんの最大の功績です。

 

藤川選手はかつて、インタビューでJFKの時代のことを聞かれた際にこう答えていました。

 

あの時は水を得た魚のように投げまくっていた。正直、岡田監督以上の監督がいるのかわからない。

 

これは2009年当時のインタビューなのですが、岡田監督によって才能を開花したのでしょう。

藤川選手からすれば、2004年まで長いファーム生活を経験したので、感謝しきれないでしょう。

 

藤川球児が阪神に残してくれたもの

まだバリバリ現役の藤川球児選手ですが、すでに阪神にたくさんのものを残してくれています。

本当に数え切れない功績があるのですが、ここでは2つだけご紹介したいと思います。

 

野球を純粋に楽しむ姿勢

メジャーから阪神復帰後、藤川選手は「野球を楽しむ心」を全面に出してプレーしています。

これは若手選手に素晴らしい影響を与えていて、投手陣は目に見えて明るくなりました。

 

虎吉くん
藤川選手に何があったんや?

 

それは、メジャー挑戦後1年間在籍した四国アイランドリーグで心境の変化があったそうです。

2017年のインタビューで、当時をこのように表現していました。

 

(2015年に)独立リーグで試合をして、抑えて楽しい、打たれて悔しいって、純粋に感じられたんですよね。辞めるのはいつで辞められる。だったら、楽しく野球を続けようって。一番楽しいのはマウンドに上がって『0』に抑えることだから、どこで投げても同じ。楽しいし、何も変わらないですね。

 

この頃から野球を全力で楽しむことを意識し始め、ブルペンでも若手に楽しむ精神を伝授。

楽しければそれで良い、勝てばそれで良いんだから、マウンドで思いっきり表現しようと。

藤川選手の姿勢のおかげで、阪神は投手王国を築けているのだと思っています。

 

超一流選手との幅広い交友関係

藤川選手から学ぶべきは、プレーや姿勢はさることながら、超一流選手とのつながりもあります。

代表的な友人としては、現在中日ドラゴンズに在籍している松坂大輔選手です。

 

実はこの二人は同級生で、しかもめちゃくちゃ仲良しなんだそうです。

沖縄キャンプ中も晩御飯をともにすることが多いそうですね。

 

そして2人目は、先日現役引退を発表した上原浩治さん

年齢こそ上原さんの方が上ですが、1998年の同期入団なんですね。

阪神はドラフト1位で藤川選手を指名、そして巨人の1位指名が上原さんだったのです。

侍ジャパンやメジャーでも交流があったそうで、引退後の番組でも特集されていました。

 

虎吉くん
超一流との交流はなんで大事なんや?

 

「成功する鳥は群れをなす」

どこかの本で読んで記憶に残ったフレーズなんですけど、まさにその通りだと思います。

超一流になりたければ、超一流同士で付き合うことが大事だと考えているんです。

ときには球団を超えて、藤川選手のように幅広い仲間を作ることも必要ですよね。

 

阪神タイガースの若手選手は、ぜひ超一流選手とのつながりを作って欲しいのです。

藤川選手という良いお手本の先輩がいるわけですから、まずは藤川選手と仲良くなること。

それができるかどうかで、今後のプロ野球生活も大きく変わると思うんですね。

 

まとめ

歴代ストッパーの特集として、藤川球児選手をピックアップしてご紹介しました。

輝かしい実績もありますが、生ける伝説的な選手ですから、現役生活を目に焼き付けましょう。

そして若手選手も、藤川選手の良いところをドンドン盗んで学んでくださいね。

藤川選手の今後の活躍も大いに期待しております!!

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