1985年伝説のバックスクリーン3連発、今回は2人目の掛布さんのエピソードです。
「4代目ミスタータイガース」と呼ばれた掛布さんは、阪神の4番打者として大活躍。
阪神ファンみんな大好きな掛布さんですが、バックスクリーン3連発の裏側はどうだったのか。
今回は、誰も知らないような情報をここでご紹介したいと思います。
掛布雅之が作り出した「間」
3番打者のバースが、シュート気味のボールを振り抜きバックスクリーンへ豪快にホームラン。
1-3から一気に4-3に逆転、甲子園球場はすでにお祭り騒ぎになりイケイケドンドン。
異様な熱気に包まれた雰囲気の中、掛布さんは冷静にバッターボックスに入ったのだそうです。
この時の掛布さんの頭の中は、一体どうなっていたんでしょうか。
後日インタビューした際、以下のようなコメントを残しています。
1球目は打つつもりはありませんでした。球場全体が大歓声に包まれていて、その余韻の中でバットを振りたくなかった。静かになるのを待って、槙原君との勝負に集中したかった。
つまり、掛布さんは意図的に「間」を作って、球場全体の空気を制したのです。
実際に掛布さんは、1球目の内角カーブを見逃し、2球目の外角ストレートをあっさり見逃し。
球場の雰囲気を意図的に切り裂き、槙原さんとの対戦に集中しようという意図を感じる2球。
間合いの駆け引きで、さらに精神的に窮地に追い込まれた槙原さんは3球目にストレートを選択。
内角高めに浮いたボールを振り抜き、センターバックスクリーン左に叩き込みました。
掛布さんの目に見えない「間」を作る技術が、このホームランを生み出す大きな要因になったと槙原さんも語っています。
掛布雅之の高い技術が生んだホームラン
槙原さんの3球目「内角高めのストレート」を掛布さんは打ったわけですが、簡単なボールではなかったのです。
速球派の急先鋒であった槙原さんですから、彼の渾身の内角高めは早々打てないはずなのです。
では、掛布さんはその速球をそうやって打ち返したのでしょうか。
それは、以下の2つの高い技術を駆使したと言われています。
上体を反らしボールと距離を取る
内角高めのストレートに差し込まれた掛布さんは、瞬時に上半身をキャッチャー側に反らしたのです。
そうすることで、ボールと体の間に距離を取ることができ、スイングしやすくしたのです。
そのままスイングしてしていたら、詰まってセンターフライで終わってしまっていたでしょう。
野球解説者の古田さんいわく、掛布さんの経験と高い技術が一瞬の反射神経を生んだんだそうです。
インパクト時に左手首を押し込む
あと1つ、ボールとバットがインパクトする時に、左手首でグッと押し込んでいるそうです。
上記と同じく、詰まりだと思った掛布さんがとったとっさのプレーだったと言われています。
この左手首の押し込みがあったからこそ、スタンドへ持っていくことができたのです。
これは、掛布さんの強靭な肉体があってことですが、それに高い技術が加わってのプレーなわけです。
私自身は野球の技術のことは素人ですが、瞬時にこの2つの動きができるのは凄いですよね。
槙原さんは、この掛布さんのホームランでショックを受け放心状態になったそうです。
掛布雅之がホームランにこだわった理由とは
「ホームランは狙って打つもの。打ち損じがヒットである」
掛布さんの有名なポリシーですが、広い甲子園でどうやってホームランを量産するかを常に研究していました。
その結果、左打者の天敵である浜風と喧嘩するのではなく、むしろ利用することが大事であると考え、流し打ちを習得。
これによりレフト方向へのホームラン量産し、飛躍的に成績を伸ばしたのです。
1981年あたりで、実は掛布さんは長距離から中距離ヒッターへの転身を考えていました。
自身のタイプは中距離打者だと明言していますし、ホームランも23本だったものの打率.341を記録。
しかしながら、その年のオフにファンから「もうちょっとホームランがみたい」と言われ、あくまで長距離打者としてファンを喜ばせることを決断しました。
ちなみに、流し打ちの技術は史上最強の助っ人であるバースにも伝授されます。
日本の野球に慣れない中、さらにライト方向へのホームランが難しい甲子園の特性を掛布さんはバースに伝え、開花させたと言われています。
引退後、バース自ら「活躍できたのは掛布のおかげ」と言っているほどの恩人だったんですね。
掛布さんは、前日の試合でもホームランを打っていたので2試合連続のホームラン。
5番打者の岡田さんはまだホームラン0本だったため、この1発がプレッシャーになったそうです。
そんな掛布さんのホームランを含めた3連発の動画、ぜひご覧ください。
2019年シーズン低迷中の阪神タイガースですが、ぜひこの当時の魂を受け継いでほしいですね。