背番号

【背番号3】阪神タイガース歴代選手プロフィールや年棒推移まとめ

1980〜1983年 藤倉一雅

名前 藤倉 一雅 出身地 栃木県足利市
生年月日 1957年8月31日 身長・体重 170cm・68Kg
ポジション 内野手 利き手 右投げ右打ち
経歴 足利学園ー青山学院大ー阪神ーロッテ 入団 1979年ドラフト外
NPB通算成績 182試合 打率.198 3本 6打点
受賞歴 なし
プレースタイル 元西武の藤倉平三郎を父に持つ二世選手。同期入団に岡田彰布・北村照文がいる中、ルーキーから背番号3をつけ期待された。1984年からロッテへ移籍、二軍でMVP獲得など大活躍するも一軍では飛躍できず。引退後はロッテのコーチを経て、白鴎大学の監督に就任。のちにドラフト1位で阪神に入団し、背番号3をつけた大山悠輔選手は教え子にあたる。

 

年俸推移

 

1985〜1987年 長崎啓二

名前 長崎 啓二(1980年まで長崎慶一) 出身地 大阪府大阪市
生年月日 1950年5月13日 身長・体重 178cm・80Kg
ポジション 外野手 利き手 左投げ左打ち
経歴 北陽高ー法政大ー大洋ー阪神 入団 1972年ドラフト1位
NPB通算成績 1474試合 打率.279 146本 508打点
受賞歴 首位打者(82)、ベストナイン(82)
プレースタイル 北陽高校3年時に阪神からドラフト8位指名を受けるも、母親の反対にあって大学進学。その後大洋へ入団、高い打撃力から「和製ミッキーマントル」と呼ばれて素晴らしい成績を残す。加藤博一との「空中キッス」は珍プレー好プレーの名場面。引退後、荒川区議会議員に当選。現在は株式会社レイアンドエムドエム代表として東日本大震災の復興支援事業をしている。

 

年俸推移

 

1988〜2004年 八木裕

名前 八木 裕 出身地 岡山県玉野市
生年月日 1965年6月8日 身長・体重 182cm・76Kg
ポジション 内野手・外野手 利き手 右投げ右打ち
経歴 岡山東商ー三菱自動車水島ー阪神 入団 1986年ドラフト3位
NPB通算成績 1368試合 打率.247 126本 479打点
受賞歴 なし
プレースタイル 守備と走力を買われて阪神入り。プロ入り後は長打力を武器に主軸を任され、1990年には28本塁打のキャリアハイを記録。優勝争いをした1992年の「幻のホームラン事件」は、彼が放った大飛球だった。プロ生活後半は「代打の神様」として大活躍、神がかり的な代打成功率でファンを魅了。引退後はコーチや解説者として活動、現在は次世代育成のチーム運営を行なっている。

 

年俸推移

 

2005〜2015年 関本賢太郎

名前 関本 賢太郎 出身地 奈良県橿原市
生年月日 1978年8月26日 身長・体重 186cm・96Kg
ポジション 内野手 利き手 右投げ右打ち
経歴 天理高ー阪神 入団 1996年ドラフト2位
NPB通算成績 1272試合 打率.278 48本 312打点
受賞歴 最高守備率(07)
プレースタイル 高卒の大型内野手として阪神入りしたものの、2年目にプロの壁にぶち当たりアベレージタイプへ転身。4年目には打率3割超えを果たし、犠打などの小技もできる選手として重宝される。阪神名物「必死のパッチ」「グラティ」は彼の発案、ファンサービスも旺盛で広く愛された選手。引退後は解説やおは朝のスポーツキャスターを務めている。長男・勇輔は履正社高校の主将としてプロ注目となり、現在日本大学在学中。次男・大成は天理高校野球部所属、父子二代の天理出身となる。

 

年俸推移

 

2017年〜 大山悠輔

名前 大山 悠輔 出身地 茨城県下妻市
生年月日 1994年12月19日 身長・体重 181cm・92Kg
ポジション 内野手 利き手 右投げ右打ち
経歴 つくば秀英高ー白鷗大ー阪神 入団 2016年ドラフト1位
NPB通算成績 580試合 打率.266 81本 318打点(2021年終了時点)
受賞歴 なし
プレースタイル 長らく阪神に不在となっていた「右の大砲」として期待。入団から徐々に成績を伸ばして2年連続20本塁打超えを達成。期待の大型選手・佐藤輝明と並んでクリーンナップを担い、打撃の軸としてチームを牽引している。スロースターターが特徴のため、とある阪神ファンの子供が作文で書いた「春の大山」というキーワードが話題。白鷗大学時代の恩師・藤倉監督の3番を受け継ぐ男。
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年俸推移

 

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