1985年伝説のバックスクリーン、3発目は岡田彰布さんです。
関西では「どんでん」という愛称で親しまれる岡田さん、まさに阪神一色のレジェンド。
バース、掛布とバックスクリーン2連発を放った後、どんな心境で岡田さんは打席に入ったのか。
この記事では、岡田さんにフォーカスして振り返ってみたいと思います。
2連発後、岡田彰布は何を思ったのか
岡田さんは、バースと掛布の2連発後に何を思って打席に入ったのでしょうか。
のちに、岡田さんはインタビューにてこのように当時のことを語っていました。
(心境に)変化はなかったな。バースが打った時点で逆転していたからね。バックスクリーンに続いていたということも全く意識がなかった。掛布さんの当たりは(バックスクリーンから)少し外れていたからな。
当時はバックスクリーン2連発が続いている!なんて意識は全くなかったんだそう。
さらに、この年の阪神優勝を予感させるような感じでもなかったと話していました。
それもそのはず、この試合が行われた4月17日は開幕からまだ4試合目。
ペナントレースの開幕直後だったこともあり、自分もチームも勢いに乗せることに注力していたそう。
特にバースは、この日まで打率1割台に低迷しており、この試合でシーズン初ホームランを放ったほど。
岡田さんはバースの復調やチームの勝利に対して、あくまで意識を向けていたと話されています。
ただ1つ、この時点で真弓・バース・掛布が全員ホームランを打っていたにもかかわらず、自分だけ0本。
ここに焦りは感じていたため、早く1本欲しいなという思いはあったそうですね。
岡田彰布のホームランは「狙い打ち」だった
バースはややシュート気味のボール、掛布さんは内角高めのストレートを打ち返していました。
それを見た岡田さんは「もうストレートは投げないだろう。スライダーしかない」と思ったそうです。
バッターボックスに入った岡田さんですが、初級の狙い球スライダーを見逃しています。
2球目の同じコースのスライダーをホームランにした岡田さんは、なぜ初球を見逃したのでしょうか。
これも、後のインタビューでこのように解説していました。
スライダーしかないと思っていたし、初球もスライダーだった。ただ、初球は打つ気はなかったよ。球場がまだざわついていたからな。
実はこの理由、掛布さんがバースホームランの直後の初球を見逃した理由と全く同じなのです。
少し表現は異なっていましたが、掛布さんはインタビューでこのように話されています。
1球目は打つつもりはありませんでした。球場全体が大歓声に包まれていて、その余韻の中でバットを振りたくなかった。静かになるのを待って、槙原君との勝負に集中したかった。
インタビューに答えている二人の姿が、ありありと想像できる言葉の違いですね笑。
表現は違えど、大歓声に包まれた中で冷静さを保つことを意識していたと言えます。
掛布さんの特集は、下記の記事にまとめていますので、ぜひ読んで見てください。
打ったのは外角のスライダー、狙い通りの球が来たため左足を踏み込んで強振しています。
岡田さんはホームランは全く狙っていなかったため、無理に引っ張らずにセンター返しを意識。
ホームランはレフトに引っ張ることが多い岡田さんですから、ホームラン狙いではなかったためバックスクリーン3連発が生まれたんですね。
槙原寛己の心境や思惑に迫る
意外にも冷静に打席に立っていた岡田さんですが、相手投手の槙原さんはどうだったのでしょうか。
槙原さんいわく、岡田さんのホームランで放心状態になり、その後の記憶がなかったそうです。
どう交代し、どう家に帰り、帰ってから何をしたのか全く覚えていないとのこと。
バースに逆転3ランを打たれ、心を整える暇なく掛布さんに打たれ、岡田さんの狙い打ち。
さすがにショックは大きかったでしょうし、当時のマウンド上での表情も不安そうでした。
槙原さんが「史上最強の打線」と呼ぶメンバーの威圧感は、凄まじかったことでしょうね。
一方、岡田さんは槙原さんに対して、リスペクトの気持ちは忘れていません。
岡田さんいわく、槙原さんを打ち崩したのはこの4月17日くらいで、他は完璧に抑えられていると。
だから、槙原さんとの相性が良いという感覚は全くなく、むしろ苦手意識の方が強いとのことです。
その言葉はデータにも表れていて、槙原さんの対阪神の成績は38勝10敗12S。
勝率.742も誇るほどの「虎キラー」であることからも、岡田さんの発言に頷けますね。
この年、岡田さんはキャリアハイの打率.342、35本、101打点をマークしています。
タイトルこそ取れませんでしたが、確実にチームに勢いをつけたのがこの3発目だったと思います。
また阪神の監督として復帰し、2005年のようなリーグ優勝に導いて欲しいですね!